よしなし事 雑感

池波正太郎さんの小説に流れる根底テーマに見る「度量」「寛容さ」の大切さ。

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@odaiji さん曰く、。

敬愛するブロガー「まなしば」さんのこのブログ記事宮崎議員の不倫と男性の育休は別物だし、宮崎さんには出直してきてほしい。 - ままはっくを読みましてね。で、ああ確かに問題の切り分けとか、一つの失策で人格否定しないことって大事だよなあと思っていたのですが、そんな時に掲題のことを思い出したので書いておこうかなと。

「宮崎議員」はもう「宮崎元議員」かもしれないけれど、この文章では「宮崎議員」として話しますね。当時の話だし、時系列でいちいち変えるのは面倒だから。

池波小説の根底テーマ

「人は良いことをしながら悪いことをし、悪いことをしながら良いことをする」

詳細な言葉尻は違うかも知れませんが、こういうことを池波さんは小説のテーマに掲げていることがとっても多いです。多くの人が知っている例で言っても

鬼平犯科帳

という小説シリーズの主役・長谷川平蔵は、若き頃は「本所の銕」といって相当やんちゃをしていました。その頃の精神を忘れず、しかも否定をせず受け入れているから、彼が「鬼平」となったおよそ45歳くらいの時にとても大きな度量の人間として描かれているんですよね。

また、

仕掛人藤枝梅安

という小説シリーズの主人公・藤枝梅安は、表稼業は町人の病気を安い値段で治療する鍼医者でありながら、裏の顔は大金をもらって人殺しをする「仕掛人」という家業です。裏稼業の仕掛人で得るお金があるからこそ表稼業の鍼医者としては、近所の貧乏な町人の治療も受けてあげられる存在で居続けることができるんですよね。

でもこの藤枝梅安、自分が人殺しをする稼業だということはとっても自覚して、きっと幸せな死に方は出来ないと考えているところもあるんですよ。

こういう、良いことをしながら悪いことを同時に出来てしまうのが人間だ、という考え方というか実態を小説で表現しているのが池波正太郎さん作品のとっても素晴らしいところなんです。

良い部分を悪い部分を抱き合わせて人の魅力が出る

大きなテーマとしてこう扱われていますが、彼の短編小説を読んでも、このテーマを非常に上手に当てはめている例がとても多い。

悪いことは悪いんですけれど、でもその人はそれを上回る良いこともしていたりして。

そういうところを合わせ読んで、総合的に「人」の魅力が膨らんでいるんだなと思っています。いちファンとして。

どんな小説か興味がある!という方は是非下記画像をクリックしてamazonへ行ってみてください。「人」を描く池波さんの洞察力の素晴らしさがそこにあります。

盗賊ですら良いことをしていたりもする

鬼平犯科帳の中では、盗賊ですら盗賊稼業の傍ら善行をしている人が居たりもするんです。以下に紹介する話の中で長谷川平蔵は、盗賊の罪自体は許していません。
が、その盗賊の善行を知っているから裁きを下す担当の人に「減刑」を願い出ていますね。

▼こちら、文庫本第八巻中の「明神の次郎吉」を読んでいただければよくわかります。奇しくも「スプリングセンテンス」社の小説ですね(笑)

宮崎議員に当てはめてみる

当てはめてみればわかることなのですが、今回の不倫騒動で宮崎議員は

・かつて議員の育休問題を提起し、賛成・反対両論でしっかり考えるきっかけを作った人
・奥さんである金子議員の妊娠中に不倫しちゃった人
・不倫がばれた後の奥さんとの会話で、奥さんの度量の大きさが伝わった人

ということがワンセットになったかなあと思います。

でも、不倫をした宮崎議員は議員として許せないから辞職すべきだし育休も良くない、みたいに

全否定

する必要はないと思っています。

分けて考える

それは、そもそも「不倫の善し悪し」と「育休の積極取得の是非」は全然関係が無いから、です。

結婚している人が他の異性(同性の場合もあるのか)と関係を持っちゃう「不倫」自体を良いことだなんて思っていないですよ。この記事でも「悪いこと」の例として挙げています。

金子議員の度量

いやしかし「恥かいてきなさい」とおっしゃった金子議員の度量。おそらくいち女性としては相当腸が煮えくりかえる思いだったとお察ししますが(そして、ネットで公開されていない事実の中で、そういう感情を宮崎議員にぶつけたかもしれませんが)、妙な泥沼化を見せずに送り出すその姿はとても美しいと感じました。

情報ソースはとても小さなものだし真実はわからないけれど、妊娠中の奥さんからしたら許せないほどの出来事があっても落ち着いて「きちんと会見をして来なさい」と送り出した態度、結婚した相手の良いところと悪いところを見極めているのかなと思ったりしました。

  • もしかしたら一生残るトラウマになるかもしれない。
  • でも奥さんにとっていったん事実を受け入れることの大切さもわかっている。
  • 許しによる変化・期待もあるかもしれない。
  • そういうところを超えた何かしらの愛もあるかもしれない。

そんな深さを感じました。金子議員、池波小説に出てきそうな懐の深い人物です。

「そういうもの」と考えれば第三者が熱くなることはない

僕自身で言えば宮崎議員とは何の縁もゆかりもない人です。強いて言えばお友達のブロガーさんがお世話になった人。で、そんなのは縁にも入りません。

良いことも、悪いことも。

で、池波小説が大好きな僕は、完全無欠な人格の人もそういないと思っているし、すべてが悪の人間もそういないと思っています。結局人は良いことをしながら悪いこともしているという生き物なんですよね。政治家もしかり、犯罪者もしかり。

議員としての宮崎さんの提起した育休問題はまったく別物として議論されるべきことだし、妊娠中の奥さんが居るにもかかわらず不倫した「夫・宮崎さん」としては反省し、夫婦間において改善を図るべきだし、そこは第三者がやいのやいのいって首を突っ込む問題じゃあないんです。

落ち着いて、寛容に

自分が気に入らないことを書き立てて人格攻撃をするのは、とっても簡単です。言った者勝ちだし、匿名だったら(、そしてそれを隠し通せれば)自分に被害が及ぶことはそのときにはあり得ませんから。また、立場が上の人が下の人をこき下ろすのも、とっても簡単。

とりわけネットやSNSの世界では知名度やファンの多さに優れた人が簡単に有利な状況を作れるのは自明です。

寛容

まあでも、もう少し落ち着いて寛容に見てみましょう、と思うんです。特に自分に直接関係のない問題。

一度良くないことをしたからと言って全人格を否定していたら、政治家なんて居なくなっちゃいますよ。政治家どころか、様々な活動をしている様々な人が居場所を失ってしまいます。それに100%清廉潔白な人なんて「水清ければ魚棲まず」で、結果誰もついて来ないもんです。悪いことを知らないことによる底の浅さって、確実にあります。

悪いことを繰り返して何かの資格を失うこと、人前に出られるほどの説得力を失うことは、そりゃあります。

そりゃあるけれど。それは繰り返して反省出来ない、改善できないといったマイナス要素が重なるから、ということもあるわけで。

過失の種類とか過失の数とか、本業と過失の関係とか、内容や数によってもう少し寛容になれることって沢山あるはずですよね。

また、自分を含め人間って完璧でないことがわかっていれば、ことあるごとに目くじらを立てることが自然に無くなってくると思うんです。これって自分の人生経験が少なくても、「人」を洞察している人の小説を読んで根底を理解したりするとわかってくるはずです。

そんな訳で、よく怒ってる人には「池波小説」を読んでいただきたいなあ。完全な人なんてそうそう居ませんよ。

なんでそんなに怒れるの?

今回の不倫問題に限ったことじゃありませんけれど。

ネットで怒り狂っている人って、なんでそんな自分と関係ないところで怒り狂っていられるのかとか、なんでそんな怒りすぎることが出来るのかとか、不思議に思うことがあります。そんなに他人に完全を求めてるんですかね?逆に聞きたいですよ。あなたは完全なんですか?って。

こういうことでは、みんなもう少し寛容になって、許せる度量を増やして行きたいものですね。何かあったらネットで騒ぎ立て捲る世界って、そんなに居心地良い物じゃないですよ。

※ちなみにベッキーさんの不倫に関しては「清廉なイメージ」をお金にして仕事をしている人なので、少し事情が違うと思っています。本稿で語ることじゃないけど。
※ちなみに僕は独身子どもなしなので男性の育休自体はあまり語れない立場だったりします。

池波小説、読んでみてほしい

没後25年が経つ池波正太郎さん。

彼が描く人間模様や、彼の人間観は死後25年経っても色あせることがないどころか、乾燥しがちな今時の人間関係に潤いを与えてくれるのではないかと思うこともあります。
昭和の時代に池波正太郎さんが描く長谷川平蔵が「理想の上司」アンケートで上位を取ったのも理解出来ます。

ぜひご一読をおすすめしたい小説です。

▼本文中で紹介しませんでしたが「剣客商売」シリーズもおすすめです。上記2シリーズと違い、主人公がもっと人生の達人のような剣客です。

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