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1985年。

この年は阪神タイガースの3人の主砲、バース・掛布・岡田が巨人のエースの一人・槇原からバックスクリーン3連発という伝説の本塁打攻勢を見せてセリーグ制覇をした年です。

この年、東京に住む中学二年生のO少年は阪神が優勝しない方に同級生と賭けて敗れ、坊主頭にしました。

・・・という話ではなく、運動全般が苦手だったO少年が体育大会で1,500メートル走に出させられた話です。

意に反してエントリーされる

体育大会が近くなると、クラスごとに、どの種目に誰が出るかを決める会が開催されます。
運動が得意な生徒はどこのクラスにも居るもので、そういう生徒の出場種目がポンポンと決まっていきます。そうこうしていくと残っていくのが「面倒くさい競技」と「運動の苦手な生徒」。まあ結局、運動の苦手な生徒は面倒くさい競技に割り当てられちゃう、といったことがあったわけです。

1,500メートル走を誰が走るか、となったときに誰かが言った

「Oでいいんじゃない?」

たぶん学年で速い人が5分台で走るような状況で、O少年は7分もかけてようやく走り切れるようなタイムだったのです。出ればビリ確実。そんなのに出たいわけがありません。まあ他に出たい競技があるわけでもないのですけれど。

イヤだイヤだといったものの、その否定でますます「じゃあ走れ!」の声が大きくなります。「みんなが言う」という状況にそれ以上の否定は出来なくなってしまいました。エントリーです。

大人になって思えば、こういうのはよくある話です。

いちばんを取る子は賞賛されるしチヤホヤされる。その他の子は誰の記憶にも残らない。「はい、おつかれー」ってなもんです。
しれっと参加して、しれっと終われば済むだけの話なんですよ。大人になればそんな選択肢もあるんです。

しかし、当時中学二年生・14歳だったO少年にとっては学校生活というものは人生の何割も占める比重の大きい時間。ここでストレスがたまることは人生のストレスに直結します。当人にとっては笑い事ではありません。

体育大会に向けて猛練習

なんてする訳ありません。マンガじゃ無いんだから。エントリーが決まってから本番の日までどんなに頑張っても、劇的にタイムが上がるわけが無いのです。

O少年は民主主義・多数決という仕組みを呪いながら毎日を過ごしていました。

「どうして走りたくない人が走らなければならないんだ」

「『みんなで楽しむ』みたいなお題をつけておきながら、どうして嫌がる人を走らせるんだ」

不満や恨み節がアタマをよぎる数日をO少年は過ごします。でも、いくら不満を思っても、恨んでも、学校生活は何も楽しくなりませんでした。

腹をくくる

数日経ったある日、鬱屈全開のO少年はある決断をしました。何かきっかけがあったわけではありません。

理不尽な仕組みで不得意な、いやなことをさせられる。

なぜ自分がいやなことを引き受けなければならないのか。

引き受けなければだめなことなのか。そんなことはないはず。

でも、体育大会の当日に休むのは、負けだ。なんというか、負けだ。

嫌がる人に押しつける勝手があるなら、嫌がる人にもそれなりに抵抗する勝手があるはずだ。

よーし、なら、こうしてやろう。

腹をくくったO少年は、それ以降鬱屈することがありませんでした。ドキドキはしたけれど、体育大会を前にしてストレスで潰されそうになる日々からは開放されたのです。

走るのが苦手なO少年の採った1,500メートル走

体育大会、当日。良く晴れた日でした。プログラムは進んで進んで1,500メートル走に。スタートラインにO少年は立っていました。

都会の中学校でトラックもそう広くはなかったはずです。何周も何周もしなければなりません。普通に走ったら約7分の辱めです。

パン!

ピストルの音が鳴りました。だーっと走り始める生徒たち。勝利を目指して長距離的に全力疾走します。

そのときO少年は・・・

のんびり、のんびり、走っていました。

うん、決して歩いてはいない。でも走っているとは言えない。そんな速度で流したんですね。ウィニングランのように、周囲に手を振ることさえしました。

トラックを1周するころには速い生徒からは周回遅れです。でも、そんなことは何も気になりません。
何周かする頃には、ビリから2番目の人からも周回遅れになりました。でも、そんなことも何も気になりません。

体育大会に参加している生徒の中にはウケて笑っている人もいました。
「ふざけるな!ちゃんと走れよ!」と怒っている生徒もいました。
あとから耳にした話ですが、当時の担任の先生は僕を殴ろうとしていたそうです。別の先生がそれを制止したそうです。

僕からしてみれば、ふざけた手続きで決められたエントリーのレースでどう走ろうが勝手だったんですよね。大会に参加したし、スタートしたし、ゴールもする。責任は果たしているんです。ただ、ゆっくり走ってるだけです。

最後の1周。

その周だけは全力で走りました。それまでの速度から考えたら、相対的にものすごいスピードです。

やっぱりウケる声と罵声とありました。でもやっぱりそんな周囲の反応は関係なく、全力だった最後の周を走り終えたのです。確か、テープが切られました。そして両手を挙げてO少年はゴールしたと思います。

今思うと、よく殴られなかったなあ。制止してくれたらしい先生には感謝しなければな。O少年は後にそんなことを語っていました。

全体の進行が予定より数分遅れたかもしれません。
体育大会を神聖に考えていた人には冒涜と映ったかもしれません。

そんなのを差し引いて、O少年は自分なりに満足できるひとときを過ごすことが出来ました。

自分で考えて、動く

O少年は自分の決意を周囲に相談することも語ることはしませんでした。親にも、仲の良い友だちにも。
手品の種は人に話した瞬間につまらなくなります。
そして、いやなことがあると不満をたらたら言う人間に思われるのがイヤだったのです。文句を言ったところで制度が変わるわけはないということは良く分っていましたからね。

誰にも言わずに、いざその時にわっとやってしまった方が楽しいに決まっていると思っていました。

今はネットやソーシャルメディアのおかげで、少数派の人の意見を世に出しやすくなっています。受け入れられるかどうかはさておき。
でも、事前に世に出せなくても、

・制度に対する反対があればその意思をはっきり持つ
・その意思を発表できる場があれば自分で考えてやってみる
・単純に怒るだけではない、ちょっとしたユーモアや風刺を挟み込んでみる

そういう工夫を14歳のO少年は行い、当時、人生でもっともいやなイベントであった1,500メートル走に出なければならない体育大会を、自分なりに面白くすることができました。

考え方を変え、腹をくくり、でも自分なりに周囲に与える迷惑を考えつつ解決を図る。
何か嫌なことがあったとき、闘うか逃げるかしか本当にないのか。心持ちを変えることで苦痛が苦痛ではなくなることがあるのではないか。

権利だとかなんだとかを声高に叫ぶのではなく、自分の頭で考えて昇華できることって、いやなことにもあるのではないでしょうか。

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