黒田官兵衛

【 #軍師官兵衛 】 第30話。天王山・洞ヶ峠・三日天下

2014/08/03

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この回の放送は、現代でも使用できる慣用句のもとになった事象が三つ出てきます。豆知識です。

安土城の主となった明智光秀さんに対し、

「謀反人・明智光秀を討つ!」と気勢を上げる秀吉軍。中国大返しです。

夜営を先回りして張り、秀吉さんの到着を待っていた井上九郎右衛門さん。秀吉さんに交換の馬を提供し、米と味噌を提供しつつ、一刻も早い帰京のサポートをします。

大返しなう

1582年6月7日
備中から姫路までの約80キロを、秀吉軍は約1日で走破した、ということでした。
姫路城の光さんはじめ黒田の方々は秀吉軍のお世話で一生懸命です。

殿を務める官兵衛さん、最後の休息場でおにぎりや味噌を食べます。箱根駅伝的な様相を見せております。
長男の長政さんが姫路から迎えに来て、秀吉さんが無事姫路に来たことを官兵衛さんに報告します。

いや、完全に私見ですけれど、万単位の軍勢の大部分が1日に80キロ走破出来たって現実味ないと思うんですよ。みなさんウォーキングとかランニングとかしたことあります?あれで80キロですよ。6月7日に出発したという記録のある資料もあるらしいのですが、もっと早く(4日・5日くらい)に出立したという方が現実味があるんじゃないかなあと思うのです。

まあ、テレビの中の話なのできつくいう必要もないんですけれどね。

「弟の熊之介に初めて会いました!」

と報告する長政さんに

「上様の敵を討つ合戦の前にそのようなことを申すでない」

と厳しくしつける官兵衛さん。顔が固いです。

長政さんと一緒にやってきた又兵衛さんの挨拶にはねぎらいの言葉をかける官兵衛さんです。

大名の心・家臣の心

その夜。供の者が寝静まっている頃、秀吉さんは機内一円の武将たちに

「ともに光秀を討ちましょう」

という書状を書きしたためています。何度も何度も送ることで味方に引き入れようという作戦ですね。

「ところで、なぜ近辺に家のあるものまで城内にとどめ置くのですか?」

と聞く石田三成さんに

「官兵衛の策じゃ。みな、家に帰ると里心がつき士気が落ちる。みなが城内におればいつでも出立できる」

と説明してみせます。

「殿。その官兵衛様がお戻りになられました。」

「なぜそれを早く言わぬ!」

ぴゅーっと飛び出して官兵衛さんのもとに走る秀吉さんです。

労いと

「官兵衛!官兵衛!」

大声でどかどか走り回れば官兵衛さんもそりゃ気づきます。

「無事着いたか。湯に入らなくてよいのか!」

と気遣う秀吉さんに

「今は時がありません。明日一日で支度を整え、あさってには出発しなければなりません」

とカッチカチの堅苦しい心で語る官兵衛さんです。

心配なのは走りづめの兵たち。この後も京都まで走り、その後に明智軍を倒さなければなりませんからね。慎重にもなろうというものですけれど。

「士気を保つことが大切かと」

とつづけた官兵衛さんに対し、秀吉さんは秘策があるようで。

「佐吉、金銀を一文残らず兵士に配れ。負けてしまえば金など意味がないからのう」

「よきお考えにございます!兵たちにも殿のお覚悟が伝わりましょう!」

返す刀で官兵衛さん

「三成殿、蔵に米はいかほどある・・・?」

ニヤリとする秀吉さん・三成さん。中心人物の思惑が一致しているプロジェクトは、強いですね。

モチベーション管理まで取り上げるとは現代サラリーマンドラマかのようです。


翌朝。

兵たちに給食を配って労う官兵衛さんの奥さん・光さんを訪ねた長政さんに対し

「こら、横入りなどするな。みな並んでおるのじゃ!」

ときっついコメントをするお手伝いの女性が一人。

「横入りなどするか無礼者」

「偉そうに。どこのだれかは知らぬが、無礼はそっちじゃ」

「なに!?」

気の強いおなごが出てきましたな。ん・・・。なんか軍師官兵衛の序盤の、官兵衛さんと光さんの出会いも似たような・・・??何かのフラグですかね?

「長政・・・」と駆け寄る光さんをみて、お手伝いの女性は

え?こいつ黒田の嫡子の人?いやいやいやいや

的な表情をします。

秀吉軍が中国攻めを撤収する際一番最後まで残っていた黒田軍。姫路に戻った報告を長政さんから聞いた光さん、先ほどのお手伝いの女性が秀吉軍の幹部・蜂須賀小六さんの娘さんの「糸」さんであることを長政さんにご紹介。

「まさか蜂須賀様の姫君とは・・・。これはご無礼いたした」

長政さん、ぺこりと頭を下げます。自分と父親が属する組織の幹部の娘さん・・・。まあ丁寧に扱いますな。

糸さんは品定めをするかのような目つきで長政さんの回りをぐるっと見たあとに

「まことに黒田の若君か? あまり強そうには見えぬが・・・」

周囲の兵から笑いが起きます。つらい行軍にはこういうひと時は大切だったりしますね。

「長政殿。必ず逆賊・明智光秀を討ってくださいませ」

そういって糸さん、逃げるように自分の作業に戻ってしまいました。気まずかったんですかね。

官兵衛、光を避ける

しかと整えよ!明朝までに間に合わせるのだ!

すでに黒田軍の柱石となっている栗山さん、兵士を叱咤激励します。

そこへ光さんがやってきて、

「善助、殿は?」

「羽柴様のおそばかと。明日の出陣に備え、方々で差配(さはい)を取られておりました」

官兵衛さん、姫路城に戻ってきたのに、光さんと会ってないのですねえ。

時代に取り残された人

備後の鞆。久しぶりにこの場所が出てきたということは・・・。
あの時代から忘れ去られたあの人です。小寺のの殿亡き今、勘違いできるのは室町幕府第15代将軍・足利義明さんしかおりません。

どうやら、祐筆(書記や秘書みたいな役割の人)に手紙を書かせているようです。

何度か言い直した後、

「此度は信長を討ち果たした」

そう書け、という義昭さん。

「光秀はわしの家臣だった男。その光秀が信長を討ったのであれば、わしが討ったも同じこと」

で、信長がいなくなったのだから自分の上洛(京都に上ること)を助けよ、と毛利の柱・小早川隆景さんにお手紙出す、ということらしいんですよね。もう毛利にとってもお荷物でしかないことも気づかずにね。

書状を受け取った毛利軍の小早川隆景さん、当然放っておきます。

「氏素性など、天下取りには無用のもの。あの方にはわかっておらぬ・・・」。

前の将軍、さいなら。

姫路から京都へ

明朝出立、晩には明石。あさっての朝には一気に兵庫まで兵をすすめます。我らが兵庫まで来たことを知れば、摂津の大名はことごとく我らになびきましょう。

そう進言しているのは、もちろん我らが官兵衛さん。ん、摂津の大名は明智光秀さんと懇意だぞ。

蜂須賀小六さんが質問します。

「何故じゃ。摂津衆は明智と縁深いものが多い」

「いまだ皆、様子を探っております。そこへ我らが先に兵を進めるのでございます。」

明快に答えたあと、もう一案。

「さらに、明智を揺さぶるのでございます。今から使いを(明智へ)送ります。数日中に京に上るゆえ、すみやかに雌雄を決しよう、と。」

あえて秀吉軍の動きを明智軍に知らせる作戦ですね。

上様の弔い合戦という義がある以上、公になれば我らの士気があがり、敵の士気は下がる、という寸法です。

使者には、黒田の中心人物・井上九郎右衛門さんが選ばれましたよ。クールガイな感じの井上さんです。淡々と知的に脅しを利かすのに向いているのかもしれませんね。

小芝居

そんな話をしている羽柴軍へ坊主が入ってきました。「明日の出陣は二度と帰れない悪日でございます。」

というのに対し秀吉さん、

「それは吉報。我らは上様のために死ぬ覚悟だから戻ってくるつもりもない。ゆえに、明日は吉日じゃ」

とうそぶいてr見せました。羽柴軍、大盛り上がりです。

まあこれは狂言ですね、と官兵衛さんに見破られますが「悪日」というのは本当らしく、それを逆手にとって気勢を上げたのですね。


(ところで)官兵衛、光どのにあったのか?何、会ってないのか。官兵衛は固いのう!

とぽんぽんと叩いて秀吉さん、去りました。

城内で官兵衛パパと会った官兵衛さん、光さん会わないことを質問されます。

「家臣に帰宅を禁じたおぬしが妻に会うのは、示しがつかぬか。」

見透かされています・・・・。

その親子の会話をしている部屋のふすまの向こうにいるのは光さん。声だけのご挨拶。

「私はともかく、この子にだけはお会いいただきたく存じます。熊之助でございます」

本当は会いたくて、会いたくて、会いたくて、つらいよ~。な官兵衛さん。官兵衛パパが栗山さんに命じて、熊之助さんだけ官兵衛さんのもとに連れてきます。抱き上げて、しばしお父さんの表情を見せる官兵衛さん。すこーしだけ家族の暖かさを思い出せましたね。

「光、わしが間違っていた。秀吉様は生きてこの地には戻らんとおっしゃったが、わしは必ず戻ってくる。この子のためにも・・・。」

光秀の誤算

京都で公家衆の挨拶を受ける光秀さんは嬉しそう。「次期将軍」などと祭り上げられて、兜の尾を締めなければならないと思いつつも喜びは隠し切れません。

禁中(天皇陛下とその周囲)に銀500枚を献上します、という明智さん。また公家さんはぬるま湯につかりそうですね。

「みんなが喜ぶ世になりますなあ」

名もない公家がそんなこと言ってますが、喜んでるのはあんたがただけでしょ!と突っ込みを入れたくなりましたよ。

宣戦布告

6月9日の早朝、秀吉軍2万は姫路を出陣し、京都を目指します。

明智光秀さんは、大和の国・筒井順慶に合流してもらおうと、洞ヶ峠(京都と大阪の境にある峠)で筒井軍を待ちます。しかしながら・・・

「申し上げます。筒井殿はまだ支度が整わぬと兵を出し渋っています!」

嫌な報告が。

情勢を見届けるためにどっち付かずにいることを「洞ヶ峠を決め込む」と言いますが、これは筒井順慶のこの対応のことと言われています。

信長さんの旗下だったころ、前に同盟を断られた細川藤孝も、この筒井順慶も、光秀さんの下でよく働いていたんですよね・・・。だからこそ本能寺の変のあとも合力を期待していたのですが、不首尾に終わりましたよ。光秀さん、ダメージ大です。

それでも織田家の主力が機内に居ないうちは、統治を進めることができます。

大阪の織田信孝(信長の三男)・丹羽長秀は兵の士気が下がっております。
備中の羽柴・越前の柴田は遠く間に合わないでしょう

と家臣が語っているところで・・・。

そこにやってきたのが使いに立っていた井上九郎右衛門さん。

「毛利はどうなったのだ?」

と聞く明智軍の幹部に対して井上さんが掲げたのは、毛利の旗印。「毛利はすでに私どもの味方です」。

「あいわかった。正々堂々と戦おうぞ」といった明智さんですが、井上さんが下がったあとに超焦ります。

信長を討ってまだ8日。なぜこのような短期間に・・・。そうか、官兵衛か!

光秀さん、かねてより買っている官兵衛さんの活躍と悟ると、焦りもひとしおです。

摂津衆、集合

この夜、官兵衛さんのもとにやってきたのは摂津の大名衆。官兵衛さんの計算通り、光秀さんを見限り、秀吉さんに付いてしまいましたよ。

まず来たのは高山右近さん。主君を討った明智光秀の行いはデウスの教えに反するもの、ということでした。

力を貸してくれてありがとう、という秀吉さんは脇差で髻(もとどり)を切り落ちsます。信長さんの弔い合戦であることを形で示したのですね。

中川清秀(荒木村重さんを織田信長から謀反するようそそのかしておきながら、速攻で織田に降伏した奴ですね)、池田恒興(ドラマ初登場?織田の幹部ではないものの部長級)、高山右近(キリシタン)という摂津の最有力所が味方につきました。

「この秀吉とともに、上様の仇、討ってくださいますな!」

「なんなりと申し付けください」「お下知に従いまする!」

プロジェクトを起こした人こそが、ほかをリードできるんですねえ。

仲間が増えない明智さんに対し、仲間が増える秀吉さん。でも官兵衛さんはゆるめません。もっとも肝心な三男・信孝様がついておりません、と。信長さんの息子あっての敵討ちですからねえ。

この時点での秀吉はあくまで「織田家の宿老」です。織田一族を立てつつ、織田の主を殺害したお家の敵・明智光秀を討つ、というのが大義。

したがって、自分たちでやるだけにもいかず、織田信長の子供を立てるのがベターなんですね。

信長の長男・信忠は本能寺の変の際に二条城で死亡、
信長の次男・信雄は伊勢の北畠に養子に出ており、方向が違う(対応していなかった?)
信長の三男・信孝は四国攻めの準備で大阪にいたものの、兵士が領地に戻ってしまい戦闘力が低下

という事情でした。秀吉が「立てつつ、炊きつつ」をできるのは信孝だったのでしょうね

信孝を説き伏せる

信孝軍の丹羽長秀さんのところにやってきた官兵衛さん。兵数が少ないことで羽柴軍の下に見られるのを嫌がっているそうで。

「このまま羽柴軍が仇討をされたら、信孝様・丹羽様は笑いものになりますぞ。なにとぞ、遅れなきよう」

強気の交渉です。

さんざ焦らしてやってきた信孝・丹羽長秀軍。秀吉さんは

「信孝様がいらっしゃらなければ、この秀吉、何もできませぬ!」

と立てるが上手なこと、上手なこと。

両軍激突

羽柴軍4万、明智軍1万3千が京都・山崎の天王山で激突しました。

何かの争いの大一番をたまに「天王山」というのは、この秀吉と光秀の「山崎の合戦」の舞台が天王山だったことかが所以となっています。

戦国時代最大の戦いは関ヶ原の戦いですが、この時に西軍から東軍に寝返った小早川秀秋が陣を構えていた山は「松尾山」です。戦の規模は小さいものの天下の趨勢の重要度やら語呂の良さやらで天王山が生きてるのですかね。

光秀さんのもとへは、重臣の討死の報告ばかりが上がってきます。放心する光秀さんは「こんなはずではなかった」と琵琶湖畔の坂本城へ逃げようとしますが。

哀れ、農民に襲われ、殺されてしまいました・・・。

「そうか、わしは、間違っておらぬか」が最後の言葉でした。

天正10年6月13日、明智光秀、死亡。

6月2日の本能寺の変から11日経っています。そういう意味では11日天下なのですが、あまりにも短い、を3日という日数に置き換えてできた有名な言葉が

三日天下

ですね。政権が短命だったとき、リーグ戦などで束の間の首位だった時などに使われますね。

長浜奪還

明智に奪われていた長浜城にそもそもの主の秀吉軍が戻ってきましたよ。そこで会えたのが奥さんの、おねさん。
人目もはばからずほっぺにキスする秀吉さん。このあたりが官兵衛さんに比べて柔らかいところです。

浮かれない官兵衛さん。秀吉さんににじり寄ります。発した言葉は

いよいよ、天下が見えてまいりました」。

誰が織田信長の敵を討ったのかといえば、秀吉さんですもんね。

「亡き竹中半兵衛殿も望んでおられました。この官兵衛も、殿の天下を待ち望んでおりまする!」

と次の時代を見据える羽柴軍の勢いが上がったところで、今週は終了です。

来週あたり、ちょっと前に映画にもなった「清州会議」があるかな?

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