黒田官兵衛

【 #軍師官兵衛 】第35話。亀裂

2014/09/07

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オープニングでは、ついに豊臣家に臣従した徳川家康さんが大阪城でご挨拶するシーンから。諸大名が並ぶなか恭しく頭を下げる家康さん。

そのシーンは黒田長政さんも見ていました。

その後九州・豊前(今の福岡県の東部。大分県の中津・宇佐も含まれています)の黒田陣に赴いた長政さん。
秀吉さんから用を言いつけられ、やってきたとのことです。

豊臣郡は九州の一番北を取ったにすぎません。これから九州征伐の兵を挙げるため、さっそく黒田の家中で調略のための会議を執り行います。

無駄な戦を避けるため、恭順する大名は可能な限り許し、他家との折り合いで返事がしにくい武将にも、内諾だけしてくれれば、という寸法。

総勢25万の兵というのは、これまで九州でおこなわれた先頭がすべて「小競り合い」と言えてしまうのではないかという大軍ですから、兵を見せつけて初めてわかる大名もいる、ということを見越してのことなのでしょうね。

九郎右衛門さんは筑前・筑後。
太兵衛さんは肥前・肥後が当面の担当となりました。

官兵衛さん、又兵衛さんに「九郎右衛門について回れ。調略とはいかなるものか学んで参れ」と指示を出します。

え~っ、自分には何もないの?と言いたそうな長政さん、「私は・・?」と口にしますが、善助さんが「人にはお役目というものがあります。若はいずれ大将になるお方。動き回るのは又兵衛の役目。それを本陣で待ち、指図するのが若のお役目」。

「わかっておる・・・」

ちょっと思案気な官兵衛さんの表情が出たところでオープニングです。

長政、豊前で。

まあストレスもあるんでしょうね。槍の稽古にいそしむ長政さん。
「腕を上げたな」と話しかける官兵衛さん。大阪の様子を長政さんに尋ねます。長政さんをなぜ大阪に残してきたかと言えば、豊臣家の動向を信頼できる人に見ておいてもらいたいからであり、長子の長政さんは適任というものですからね。

「徳川家康さまにお会いしました」

この時の長政さんは嬉しそうです。

「どんなお方でしたか?」

と聞くのは栗山善助さん。そういえば善助さんはまだ面識がないですね。
逆に長政さんは、関ヶ原の戦いで徳川に付いたくらいの入れ込みだったわけですから、ファーストインプレッションも最高です。

「聞きしに勝るお方でした」。

と、秀吉さんとの対面の話をして聞かせます。

「お願いの儀がござります。殿下の陣羽織を賜りとう存じます」

「これはわしが戦の時に着る大事な陣羽織じゃ。いくら徳川どのの頼みであっても、渡すわけにはいかん」

「この家康がいる限り、殿下に戦はさせませぬ。某が矢面に立ち戦いまする。それゆえ、殿下に陣羽織は不要にござりまする。なにとぞ・・・」。

「そこまで言われたら、渡さぬわけには参らぬの。」

「ありがたき幸せ」

このシーンは戦国時代のこのあたりを描いたものでは結構出てきますねえ。それほど有名なシーンだといっても良いです。前日の晩に秀吉が「臣従」のシーンを根回ししていたというシーンが出てくる以上は、江戸時代に入ってからの徳川側の脚色のような気がしなくもありませんが・・・。出典なんだっけかな

若はすっかり徳川どのに魅せられておられる、という善助さんに徳川さまマンセーであることを語る長政さん。でも官兵衛さんは前もっての交渉があっただろうことを看破します。

官兵衛さんは「そのような芝居は当たり前」と言い切って終わってしまいますが、長政さんはもう一つ「手土産」を持ってきました。

「大阪で気になる噂を聞いてまいりました。殿下は父上をお傍へはおかず、遠ざけている。それは石田三成どのの讒言に・・・」

官兵衛さんは最後まで言わせません。

「長政、そのようなつまらぬ噂に左右されてどうする」

善助さんは長政さんより?「しかし、依然とは違うご様子・・・」

官兵衛さんが「恋女房でも年が経てば飽きがくる。それと同じじゃ。」

といって立ち去ります。これは善助さんに向けての言葉でもあるのでしょうね。

「え。えーっ。殿!」

という善助さんが、官兵衛さんを追っかけます

このシーンだけフジテレビの月9のドラマ「HERO」で善助さんを演じている浜田岳さんが扮している「宇野検事」っぽさが出ていた気がします。気のせいかな・・・

大阪城

大阪城の金の茶室では秀吉さんが利休さんとお話を。九州征伐の暁には、利休さんに九州での茶会を取り仕切ってくれ、とお願いしているようですね。

そこにやってきたのは利休さんのお茶の弟子でもあり、キリシタン大名でもある高山うこんさん。九州に一足先に出陣するご挨拶だったみたいで。

「右近よ。官兵衛をキリシタンに改宗させたようじゃな。着々と信徒が増えておるの」

「殿下が布教をお許し下されたおかげでございまする」

「なんと申した?お主とともに大阪に来た、伴天連の・・・」

「コエリョ様にございまするか?」

「そうじゃ。コエリョじゃ。この日の元で伴天連を仕切っている元締めじゃ。威勢の良いことを申しておったな」

詳細不明ながら過去のシーンが流れます。

九州の大名に師と仰がれ影響力があること。自分が仲立ちすれば秀吉さんに従うこと。
ドヤって感じでお話しているコエリョさんのシーンでした。

「このままいけば、この国のすべての者がキリシタンになるかもしれんの」

ここまで怖い顔で秀吉さんが語ります。

「このわしも、女房が一人、妾は許さぬという野暮な戒律さえなければ、いつでもキリシタンになるんじゃがな。はははは」

なんだか秀吉さん、怒ってるんだか楽しんでるんだかわからない対応でした。

小倉にて

豊前・小倉城にて、再び官兵衛さん登場。お客人が来たようですが部屋に入ってみると刀がおかれているだけでもぬけのからでした。

その当人は庭に立ち、植物を愛でたり土を口にしたりしております。

「よい土じゃ。古来この地は実り豊ゆえ、『豊(とよ)の国』と呼ばれてきた」と語るこの方こそ、この数回の主役になる宇都宮鎮房さんです。

宇都宮鎮房、戦国時代のゲームなどをやっている方には「城井鎮房」という名前の方がわかりやすいかもしれませんね。豊前の国に城井谷という土地があり、個々を守っていた宇都宮氏のことを城井氏として呼んでいたんですね。

昔はこういうことがままあったので、細かいことは気にしなくてOKです。

鎮房さん、豊臣に味方すれば本領安堵に間違いないかどうかを確認しに来た模様です。

官兵衛さんは秀吉さんから承っていることを説明して、話し合いに移ります。

400年にわたって城井谷を守り、一族も豊前にいる鎮房さんは豊前の名家。明家の宇都宮家が草履取り上がりの秀吉さんに頭を下げるのは若干の屈辱ながらもそれよりも本領安堵が最優先事項のようでして。これさえ守れれば傘下に付くのも問題ない、という確認でした。

秀吉、出陣

満を持して九州出陣の日を迎えた大阪の秀吉さん。何か物足りないと思っていた秀吉さんですが、その心は茶々さんだったようで。

その茶々さん、自室でとても思いつめ、決意したような表情で。

九州なんてナンボのもんじゃい!と思ってる秀吉さんは「そんなこと」よりも茶々姫のご機嫌取りが大切だったんですねえ。

その秀吉さん、城の廊下でひれ伏している茶々さんを見て大喜び。これまで何をしてもなびかなかった茶々さんが「無事のお戻りをお祈りしております」とご挨拶し、「私、強きお方が好きでございます」とニコリとしたことに秀吉さんは感涙。

九州への足取りも軽くなりましたよ。


秀吉さんを見送った茶々さん、おねさんとガールズトーク。

「茶々どの、あなたもここに根をはる覚悟を決めたのですね?」

ちゃちゃさん、まっすぐには答えません。

「以前、お伽衆の道薫どのに問われました。父母を殺されながら、何故仇の元で生きながらえているのかと。ここへ来た当初、命を絶つことも考えました。

母が嫁いだのは弱い男ばかり。父・浅井長政、柴田勝家殿。みな、滅ぼされました。

それゆえ、私は強いお方を選んだのでございます。たとえそれが仇であろうと、後ろ指をさされそしられようと、構いません。道薫どのは、私を『乱世の産んだ化け物』と言いました。化け物は、化け物らしく生きて見せましょう」

ニッと笑っておねさんを見上げる茶々姫

「これが、私の覚悟でございます。」

いやあ複雑な心境でいらっしゃる。でも、この「化け物」の世界観、大阪の陣まで説得力のあるキャラクター設定かもしれませんね。


西を目指す途上の秀吉さん、途中播磨では黒田家の奥様方・光さんや糸さんがお待ちです。でも秀吉さん、人に会ってるんだかなんだかでずっと待たせてしまいます。

やっと来た秀吉さん、愛想の良い挨拶を二人にしますけれど、何か言いたげな光さんに対して

「官兵衛のことであろう、官兵衛のことはちゃんと考えておる。心配ご無用!」

と、部下の者になにか持たせます。どうやら砂金のようで。

「とっとけ。あって困るようなものではない!」

「加増のことも、ちゃんと考えておる、心配ご無用じゃ!」

これだけ言って去ってしまいました。お付きの女性が「偉くなると変わってしまわれるのでしょうか・・・」とがっかりした表情を見せます。

九州攻め

小倉城についた秀吉さんはさっそく軍議を。官兵衛さんがリードします。

秀吉10万は筑前・筑後・肥後のルート(熊本県側)
秀長15万は豊前・豊後・日向のルート(宮崎県側)

それぞれを通って行くことになります、と。

で秀吉さん、官兵衛さんを秀長さんのルートへ帯同させ、自分のところには毛利勢と石田三成さんをくっつけます。うん、なんだか避けられてますね。
これだけの兵力さがあれば官兵衛さんの知恵が無くても勝てますからね。自分にとって居心地の良い相手がいた方が良いですもんね。人情としては。


九州勢のなかで秀吉さんに降伏する大名が挨拶にやってきます。佐賀の竜造寺氏や先ほど出てきた宇都宮氏です。秀吉さんは宇都宮さんに先鋒を命じます。

宇都宮さんは先祖代々の地であることを猛アピールです。土地の愛着があるんですね。

竜造寺家は家老の鍋島直茂という人が傑物でして。
のちにこの人のおかげで佐賀は鍋島家のものになり、鍋島藩として幕末まで差がを統治し続けます。

佐賀・鍋島藩で有名なのは「武士道と云うは死ぬこととみつけたり」という「葉隠」の教えと、幕末時代にあった鍋島直正さんの先進的な考え方。明治政府が徳川軍をやっつけるときには鍋島家が持っていた先進的な兵器が役になったと言われています。

秀吉さんの九州侵攻は全然語られず、あっというまに薩摩まで押し戻された島津家も降伏。頭首・義久さんも頭を丸めて降伏しました。

降伏を願い出た島津家に対し、ここでも三成さんと官兵衛さんの意見が対立します。

領地を召し上げ義久には切腹させるのが良いかと、という三成さん。
島津には寛大な処分を。薩摩・大隅の領民たちには気性荒く、たとえ殿下でも頭を悩ますことになります、という官兵衛さん。

「ここで島津を許してしまっては示しがつきませぬ」とボソッという三成さんに官兵衛さんは怒ります。

「兵は25万。兵糧も尽きかけているのではないか?」

秀吉さんが言い争いになりそうな二人を制しますが、依然はこうしたシーンできょどっていた三成さんが妙に冷静な表情になっているのが「変化」ですね。

どうやらこのドラマの中では、石田三成さんは、結構な悪役として描かれるのでしょうね。

でも秀吉さん、島津家から薩摩・大隅を取り上げることはしませんでした。

島津藩は幕末まで残り、大久保利通や西郷隆盛という人物を輩出して、ついに政権を奪取します。鎌倉時代から江戸時代も突き抜け、ひたすら薩摩で生き残って政権を取った鹿児島、すごいですよね・・・。

平定後

約束通り博多で茶会を開いた秀吉さんと利休さん。
利休さんはここで秀吉さんに、戦で疲れた博多を立て直してほしいとおねだりします。

秀吉さんは官兵衛さんと三成さんに、博多復興を指示します。官兵衛さん「殿下は変わっておらぬ」と一安心しました。・・・この時は。

当時、博多の商人としては神屋宗湛、島井宗室、大賀宗九という商人・茶人がいました。江戸時代になってもこれらの商人は営みを続けていたはずです。

千利休との付き合いがあったことと、のちの朝鮮出兵の際のベースとなる土地であったことから、この地の復興は急がれ、また、町が再び栄えたのでしょうね。

秀吉、怒る

九州でキリスト教の話を見分する秀吉さん。コエリョの謁見をします。そこで聞いたこと・・・

・ポルトガルの船は大筒を積んでいること
・宣教師曰く日本のどの船でも勝てないこと
・その船は長崎に停泊していること
・長崎のみなとはコエリョさんが長崎の大名・大村氏から「頂戴」したこと
・九州では「伴天連」が事実上領地を持っていること

その場にいた高山右近さん、官兵衛さんは顔をひきつらせます・・・。コエリョ、南蛮人の自慢ばかりして為政者の顔色を窺わなさすぎだ!

これ、秀吉さん大激怒です。大砲を積んでいる船を秀吉さんに献上することを進めましたが、コエリョさんは取り合いませんでした。

秀吉さん、コエリョさんに激怒して決断します。


その秀吉さんが右近さんに寄せた手紙を知って官兵衛さん・利休さんが驚愕。

・名のある武将たちにキリシタンを広めたのは右近、それを直ちにやめろ
・キリシタンは実の兄弟以上に結束し天下に害を及ぼす
・寺社を破棄したのも悪行であるから信心を捨てよ

もう、全否定ですね。

「信心を捨てることなどありえませぬ。官兵衛どのをはじめ多くの人にデウスのお考えを広められたのは私の誇り!」

以前、キリスト教の心をまげて織田信長さんの命に従った右近さん、今度は自分の心に正直になりたいのですね。

「信心のことはいったん心に治め、殿下と折り合いをつけられた方がよろしい」

と説得する利休さんのいうことも素直に聞けません。

結局高山右近って島流しというか国内滞在を許されなくなり、マニラでお亡くなりになるんですよね。

亀裂

三成さんと打ち合わせている秀吉さんの元を訪れた官兵衛さん。秀吉さんはなんで官兵衛さんが来たのかわかっていました。

「右近殿はこれまであまたの武功を挙げ、殿下をお支えしてきた男。なにとぞ・・・」

「官兵衛、おぬしもキリシタンじゃったな・・・。伴天連どもは我が国の一部を勝手に選挙し、大筒を積んだ船で脅しに出ている。あやつらの狙いはこの日の本を乗っ取るつもりじゃ」

「そのようなことは断じてございませぬ。思い過ごしでございます」

「わしは九州に来て、この目で観た。多くのキリシタンたちが、まるで王を崇めるがごとく、伴天連に跪いておった」

「それはあくまで神として・・・」

一向一揆と同じじゃ!」

織田信長時代を生きてきた人たちとしては一向一揆の言葉は重いです。これはドラマの中ではあまり語られていないですが、そうとう思いといっても差支えないです。

三成さんの逆撫でのフォローが入ります。

「キリシタンは増えすぎました。このまま野放しにしておけば、いずれキリシタンによる一揆がおきかねません」。

そして三成さんが官兵衛さんに見せた法案の文章の中には、キリシタンを邪法と定めているようです。官兵衛さんも邪法扱いには驚愕。

伴天連追放令

ですね。すべての伴天連は、キリシタンの教えを広めることを許さない、これより20日以内の帰国を命ずる、というものでした。

「このようなお触れを出せば、抗い、敵対するものも出てまいります!」と官兵衛さんが諌めます。

が秀吉さん、

「官兵衛、お主もこの秀吉に抗うか。この秀吉の命に背くものは、容赦はせん。抗う者あらば、滅ぼすのみ!」

官兵衛さん「何を仰せか。ようやく九州平定がなったというのに、また戦を始められるおつもりか!」

「官兵衛!それ以上申すな。お主を罰したくはない。官兵衛、この話はしまいじゃ。」

官兵衛さん、なんというか敗北感が・・・。

「それより官兵衛、おぬしに良い知らせじゃ。光どのも喜ぶぞ」

という秀吉さんですが、その「良い知らせ」の内容に再び官兵衛さんがっくりです。

「黒田さまには九州攻めでの活躍により、豊前の国を賜るとのこと」

と三成さんが語りました。豊前の国?こないだ本領安堵を約束した宇都宮氏の領土じゃないですか!

「お待ちください。宇都宮鎮房どのは!本領安堵を約束したばかりではないですか!」

「宇都宮には国替えを命ずる。それでよかろう」

と秀吉さんが去ったところで今回は終了。宇都宮さんに恨まれるのは官兵衛さんですからね。何とも試練の予感がする会となりました。亀裂の予感?

このやり取り、秀吉・三成ラインがとても良くない通達をしているように演出されています。主人公の官兵衛が困ってしまうような、

・大きくなった為政者が傲慢な振る舞いを見せている

という描かれ方ですよね。

でもね、そうでない部分もあります。たとえば伴天連追放令ですが、その直前にあったこととしては、奴隷貿易の問題があったのですね。

伴天連と一括りにされてしまっていますが、ポルトガル商人が日本人を奴隷として海外に売っていた事実があったようです。日本人の商人もヨーロッパ人を「輸入」していた事例もあったといわれています。

そのような事実の中で伴天連を悪く思う為政者がいても不思議ではないだろうな、というのが僕の感想です。今のような情報社会でもないですし、その時に謁見した人の態度ですべて決まるでしょうしね。

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