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【 #大台町PR 】大台町に眠る戦国武将・北畠具教のゆかりの地を巡る

2016/11/30

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ブロガーサミットというイベント登壇・町で活躍している方の取材のために訪れた三重県多気郡大台町。ここにはかつて戦国時代に伊勢を支配した北畠氏がありました。その8代目の当主・北畠具教(きたばたけ とものり)。戦国時代の剣豪五本の指に入るといっても過言ではない、塚原卜伝と上泉信綱から剣の教えを受け、卜伝からは奥義「一の太刀」まで伝授されるという剣豪大名でもありました。

大台町を色々ご案内いただける時間の合間に、北畠具教にゆかりのある場所をリクエストして、連れて行って頂きました。名君とも言われ、剣の道にも達者で、剣豪同士の交流にも力を貸した北畠具教の館跡と家臣の館跡。どのようなところだったのでしょうか?

織田信長が「狂わす」

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具教の生涯をいろいろ変えてしまったのは、織田信長でした。

尾張を統一した信長は伊勢の攻略を図り、北畠氏を服従させ、次男の織田信雄を具教の嫡子・具房の養子に据えて支配します。それでも隠居しつつ実質的に支配していたと言われる具教を信長は1576年に殺害してしまうんです。

隠居の地であり、信長から刺客を送られた地こそが、大台町の三瀬館跡=北畠氏館跡なのですね。

一説には具教は、殺害される際に織田の兵19人を斬り殺し、100人に刀傷を負わせる抵抗をしたと言われています。

これが史実であれば文字通りの剣豪であったということですし、そうでなかったとしても、そのような伝説が生まれるほど土地の人々に慕われていた証拠になります。北畠具教、覚えておきたい戦国武将の1人です。

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この地には胴塚があり、北畠具教の胴が眠っているといいます。首はお隣の松坂にあるそうです。

▼今でも花をたむけられているんですねえ。
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▼首塚の方向を説明する看板があるあたりも、地元で愛された名君であることが伺いしれます。
首塚の方向

▼館跡は花見と紅葉の名所になっているようです。ここでワイワイやってもらえれば、北畠具教も草葉の陰で喜んでいるのではないでしょうか
紅葉の名所

北畠氏の有力家臣・三瀬氏の砦を訪れる

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北畠氏の有力家臣に三瀬氏がいました。そう。大台町の鉄道の玄関「三瀬谷」駅の「三瀬」です。
三瀬氏が居住していたと言われる三瀬館は、いまは三瀬砦として存在します。

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きっと当時もそうだったと想像する高さ3メートルほどの土塁に囲まれています。背後は大谷川と宮川が合流して天然の要害となっていました。きっと三瀬氏は当時も存在感を示していたのでしょうね。

時間の都合で回れなかった北畠神社、今度は見に行きたいです。

戦国時代人気、刀剣人気の流れを活かせないか

日本全国に有名な戦国武将がいるものですが、であれば北畠具教だって魅力十分。剣豪同士の交流を手伝ったという人間的魅力と刺客を19人斃してから生き絶えたという伝説が、人間性の良さと人としての強さを示しています。城なんか持ったこともない前田慶次が人気者になる昨今ですから(あ、僕は前田慶次、大好きですよ!)何がきっかけで北畠具教の人気が出るかはわからないわけです。

題材にしたテレビゲームもヒットし、展示会が開催されれば動員も見込める戦国時代。刀剣乱舞などのゲームから「とうらぶ」「刀剣女子」といった言葉まで生み出されている刀剣ブーム。
伊勢の国司として長く統治した家系、稀代の剣豪から奥義を授けられたほどの剣豪大名でもある北畠具教をもっともっと前面に出して、何か戦国時代のファンが訪れる地にならないものかなあと思い、願いながらゆかりの地を巡りました。

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