新潟 書評

新潟中越沖地震のコミュニティFMの存在意義と『波よ聞いてくれ』の共通点

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お友達のブログ「東京散歩ぽ」の特派員(?)として新潟県柏崎市のプレスツアーに行っていました。

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その時の様子は上記リンクのように書いているのですが、訪れた1箇所で、僕のブログ的に心打たれた事柄があったので、それは自分のブログに書かせていただこうと。東京散歩ぽの中川さんに許可を頂いてこちらに書くことにします。

柏崎市は2004年の新潟中越地震(以下、中越地震 とします)、2007年の新潟中越沖地震(以下、沖地震とします)と、立て続けにマグニチュード6.8の大地震で被災した地域なんです。沖地震の記録を残している、かしわざき市民活動センター 中越沖地震メモリアル「まちから」を訪問したときのことでした。

このときのコミュニティFMの方の言葉が、大好きなマンガ・アニメ・ドラマの「波よ聞いてくれ」で語られた大切な言葉と全く同じだったんですよね。

まちから の地下一階には新潟中越沖地震のときの声が残っている


まちから の地下一階には、沖地震の際の人々の声や写真・物品がいろいろ残っています。記録映像も残っており、柏崎の人々がどのような状況だったのかを知ることができました。東京に住んでいる僕が当時のニュースでは得られなかった、生々しい現実と人々のたくましい生き様が、そこには記録されていました。

前の大震災からわずか3年での被災。とても辛いことだとは今になっておおいに想像させられたことなのですが、その3年間で柏崎の人々が震災を意識して、強く生きていることも分かったのです。


柏崎市立第一中学校で教員をしていた山田智さんは

「原発か、地震か、津波か。3つ悩んだ」

そうです。訓練通りの避難を生徒にしてもらおうとしたとき、原発の放射能漏れの危険性なら建物内、余震で建物が崩れる危険性なら校庭、津波なら屋上、と近くの避難でも3通りあったのだとか。

普段通りの行動をしようと校庭に避難したそうです。おろおろしているのではない。3年前の震災から学んで、落ち着いて判断しようとする強さがある言葉なんですよね。


銘酒「越の誉」を製造する原酒造では、代表の原吉隆さんが

「『地震から1か月以内に瓶詰めを復旧させる』と社員に宣言した」

そうです。具体的な目標を期限を切って挙げることで、衰えつつあった士気を上げたのだそうです。酒蔵5棟・事務所が全壊、敷地内の6割の建物ががれきとなった中での宣言。必ず立て直してやるという感情は怒りにも似た強いものだったそうです。

本来、自然に人間は敵いません。けれど、原さんの言葉は戦う人の強い気持ちが表れた言葉でした。きっと原さんの強い気持ちは、蔵人に伝わったことでしょう。なお、訪問時に原酒蔵のお酒「越の誉」を飲みましたが、めっちゃおいしい。お米の香りがしっかり伝わるいい日本酒ですよ。

そして、とりわけ僕の印象に残った言葉が、柏崎コミュニティ放送 FMピッカラの高橋裕美さんの言葉

「いつも聞いている声を聞くことが安心感になる。」

というもの。

3年前に発生した中越地震の経験などから、県内のコミュニティ放送が災害時に協力しあう協定が出来ていたんだそうですね。それが初めて活かされたの沖地震の際の放送で、いつもの声で放送を流すことを大切にしていたのだそうです。

コレを読んで、聖地巡礼までした好きな作品の「波よ聞いてくれ」のシーンを思い出しました。

波よ聞いてくれ の災害時のシーン


「波よ聞いてくれ」は札幌を舞台とした沙村広明さんの作品です。マンガで始まり、アニメ化・ドラマ化されています。

作中、2018年に発生した「平成30年北海道胆振東部地震」(以下、胆振東部地震)が扱われます。

マンガ版では第57話(第8巻)。場面は胆振東部地震が起きた直後の地方ラジオ局。百戦錬磨のディレクター・麻藤が新人パーソナリティーである主人公のミナレを呼び出して緊急番組の対応を命じた際、にこんなことを言います。

「ミナレ こういう日のラジオの大事な役割って何だと思う?」
「リスナーの気持ちを掬い上げる事だよ」
「深夜 大地震がありさらに停電 何も見えない ラジオをつければアナウンサーが緊迫した声で大災害のニュースを読み続けてる これが続くとどうなる?」
「不安に潰されそうになるんだよ 普通の人間は」
「だからそうならないように 俺たちは日常を演出しなきゃならない 『一人じゃない』『大丈夫だ』と語り続けなきゃならないんだよ」

いつもはちょっと人を食った感じでミナレに話しかける麻藤ですが、このときは上記のように、真剣にラジオの在り方を説いているんですよね。

また第61話では、震災5日後の麻藤と社主との会話で、社主が次の様に言っています。

「道内のリスナーが一日も早く日常を取り戻して また我々の何て事ない番組を楽しんで聴いてくれるようになれば それで十分よ」

メディアとしてのラジオにはさまざまな側面がありますが、少なくとも災害時のラジオの在り方の大きな一面を、原作はこう示しているんです。

アニメ版では最終回で胆振東部地震が発生し、発生時に番組を担当していたミナレが緊急地震速報とユーザーの声を拾い上げる役割を1時間半にわたって行い、駆けつけたエースパーソナリティーの茅代まどかにバトンタッチします。

そこでブースを出たところでの麻藤との会話が
ミナレ「やっぱプロは違うねぇ」
麻藤「災害時こそ、いつものパーソナリティーのいつもの声、だな」

原作の会話をぎゅっと凝縮した言葉のやりとりになっています。

その後、局から外に出たミナレは朝焼けを見ながら

「ラジオってこのまま滅んでいくものだって思ってたけど、結構すげえな……」

とつぶやきます。震災時の力を伝え手として実感したのでしょう。

テレビドラマ版では千葉県が舞台になっています。最終回で地震が起きます。自宅にいたミナレに麻藤から

「こういう時だからこそ、オマエの声をラジオで届ける意味があるんだよ」

と招集の電話が入ります。

局についたミナレに麻藤は

「深夜に大地震が起きて停電で何も見えない。いつ復旧するかわからねえ中でラジオをつけりゃ、アナウンサーが緊迫した声で災害情報を読み続けてる」

と語ると、その場にいたADの南波が

「普通は不安に押しつぶされそうになりますよ」

続けて麻藤は

「そう。だからこそ『波よ聞いてくれ』にしかできないことがあるんだよ」

オマエがいつものように、一人じゃない、大丈夫だって声を届けることに意味があるんだよ

と語り、ミナレをブースに送り出すのでした。


麻藤の言葉、メディアによって少しずつ違いがあるんですが、すべてFMピッカラの高橋さんの言葉そのものじゃないですか。こうなると、作品の中の好きなシーン・セリフが、現場の人が心に抱いている、リアルな重みのある言葉に変わってくるんですよね。

思えば、地震があったときにTwitterに「揺れた」って書き込みするのも、いつのまにか、いつもの一人じゃないTwitterに意味がある、ということなのかもしれないなと思いました。それによって、何か少しでも心が安らぐ。そんな効果があるのかもしれませんね。

新潟中越沖地震は平成30年北海道胆振東部地震より前

時系列的に言えば、2007年に発生した沖地震は、2018年に発生した胆振東部地震より前に起きています。僕が言葉を知った順番が逆だっただけですね。

でも、ポイントはそこじゃありません。二つの震災を通して、方やリアルなラジオ局の人、方や震災におけるラジオ局の在り方を取材して作品化した漫画家さんが同じことを語っていることに重みがあるんだと思います。

波よ聞いてくれは、普段はそれはまあめちゃくちゃな作品なんですけれど、随所に出てくるラジオ論・メディア論は読んでいてうなることばかりです。今も毎月、講談社のマンガアプリで「作品買い」をして楽しませてもらっています。

柏崎を訪れたら「まちから」はぜひ行くべき

わずか3年の間にマグニチュード6.8の地震を二度経験した柏崎は、大変な被災地域であると同時に、人々の防災意識がとても高い日本有数の地域であるとも言えます。パネルを見始める前の僕は「2度も被災して大変だったんだなあ」と外野感に満ちあふれた印象しか無かったのですが、パネルや映像を見終えてからは、畏敬の念のようなものを持つようになりました。

そこから復興して人々が元気に生活している柏崎を訪れたなら、「まちから」を訪れて強さの根源を学んでみるのをオススメしたいです。

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