書評

関ケ原の合戦~大坂の陣を描いた「影武者徳川家康」は今なお名作

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関ケ原の合戦以降の徳川家康は、歴史の本を読んでみてもいまいち面白みがない。そこから250年続く江戸時代の礎を築いているので面白くないはずがないのだが、歴史年表を見ると

1600年:関ケ原の合戦
1603年:征夷大将軍に
1605年:将軍の位を秀忠に譲り大御所に
1614年:大坂冬の陣
1615年:大坂夏の陣
1616年:死去

このくらい簡潔にまとめられているものもある。今川家の人質だった幼少期や織田信長に振り回された青年期、豊臣秀吉を相手に戦ったり臣従したりした壮年期に比べて、いまいち盛り上がりに欠けていないだろうか。

この16年間を描いた時代小説「影武者徳川家康」(1986年~1988年連載)が傑作なのを、令和の時代にどれだけの人が知っているのだろう。今を生きる時代小説好きが手に取る機会を少しでも増やすべく、ここに自分の感動をまとめておきたい。

徳川家康は関ケ原の戦いで暗殺された

本作は関ケ原の合戦で、徳川家康が石田三成の腹心・島左近が放った刺客に暗殺されるところから始まる。家康の影武者・世良田二郎三郎の器量で関ケ原を勝ちきり、江戸幕府の創設を成し遂げ、250年の礎を築いたというストーリーだ。家康暗殺がなぜ漏れなかったのか。徳川家が影武者を盛り立てた理由。征夷大将軍や大御所になった理由とタイミング、豊臣家を滅ぼした理由が、作家の隆慶一郎さんによって実に説得力豊かに描かれている。

歴史のIFを、当時の資料から逸脱しない範囲内で表現しているため、物語が実にリアルに飛び込んでくる。本書が単行本化された1989年の僕は10代。本当に家康は関ケ原で暗殺されているのではないかとドキドキワクワクしながら読み進めていったのを今も覚えている。

家康(二郎三郎)と秀忠の争い

物語は終始、二郎三郎と秀忠の争いを中心に進んでいく。隆さんの作品を好んでいる人は、きっとみな2代将軍・徳川秀忠のことを嫌いなのではないか、と思うほどに、秀忠は餓鬼で狡猾で非情で我儘だ。だがその秀忠ですら、およそ16年に渡る二郎三郎との闘いで成長していくのが面白い。物語における「ラスボス」は、登場時には力がなく、物語の途中でも主人公にやられ続け、最後の最後に時勢や徳川「家」を身につけ二郎三郎を超えていく。

その超え方も美しくないどころか卑劣極まりないのだが、卑劣さに対する怒りと、あんな男でも成長するのだなというまかふしぎな親心を持って読み進めてしまうのが面白い。もっとも、親心を感じるようになったのは、僕が40を超えて十何度目かの読み直しにおいてだと記憶しているが。

とにかく本作における徳川秀忠は、成長するラスボスとして非情にユニークな存在だ。注目して読んでいただきたい。

漢のカッコ良さが伝わる

「漢」と書いて「おとこ」と読む、という流行がいつから起こったのだろう。当時の漢は「男の中の男」の意味合いが強かったのではないかと思うが、現代では、漢はジェンダーレスに強さを示す人の象徴のような気がしている。そして、隆さんの作品は漢の描き方がとても上手い。

影武者徳川家康には、男女それぞれに漢が登場する。二郎三郎はもちろんのこと、物語序盤で死んでしまう石田三成も、三成の家臣の島左近やその従者、家康の室。覚悟を決めた人間の強さ、美しさがこれでもかといわんばかりに飛び込んでくるのだ。筋肉質で骨太な登場人物が、実に躍動しているのだ。

ハタチやそこらの僕は、こんな大人になりたいと憧れながら読み進めていたものだ。

本作は原哲夫さんによってコミカライズされ、さらにスピンオフのマンガ作品までリリースされた。残念ながらこれらはあまりヒットしなかったが、生き生きとしたキャラクターに当時の期待があったことが想像できる。

上ナシ

隆さんの物語の主人公は、組織が苦手であったり、縛られるのが嫌いだったりする人が多い。本作の主人公・世良田二郎三郎も、家康に仕えるまでは仕える主人のいない「上ナシ」人生を送っていた。将軍の代わり、大御所の代わりを務めてもなお、上ナシの世界を作ろうとしている。

そういえば、隆さんのいちばんのヒット作「一夢庵風流記」(漫画・花の慶次の原作。前田慶次郎という戦国武将を一躍メジャーにした)の慶次も、上ナシを好む人だった。

本作も、上ナシを心のどこかで望んでいる人々が、その理想のために組織で、組織を使って戦っている。自由にならない人生、世の中の流れをヨシとせず戦う姿に心打たれるのだ。

本作には、隆慶一郎ワールドとも思える人物の名前が何人か出てくる。松平忠輝、向井正綱、柳生の剣客……。複数の作品を読んでいる方には、世界の繋がりによってさらなる奥深さを与えてくれることだろう。



時代小説の醍醐味は「点と点をどう結びつけるか」

実在する人間を取り上げた時代小説を読み進める場合、その醍醐味は「点と点をどう結びつけるか」だ。歴史は、資料がポイント、ポイントで残っているものを集め、そのポイントを結びつけることで構成される。その結びつけを、夢と希望と冒険心を振りかけて調理するのが、時代小説家の仕事なわけだ。

隆慶一郎さんの作品は、この調理が実にワクワクさせられる。彼が現代の戦国ファンに残した最大の業績は、歴史に埋もれていた前田慶次郎をスターダムに押し上げたことだ。前田慶次郎を隆さんが取り上げた「一夢庵風流記」は、史料にあまり登場しない慶次郎を隆さんが最も格好良く取り上げた傑作。読むだけで、血湧き肉躍ること間違いない。

影武者徳川家康ももちろん、隆さんが点と点を実に巧みに結びつけている。世良田二郎三郎はやむを得ず大坂の陣を起こしているのだが、冬の陣を起こした状況から、冬の陣の停戦から夏の陣への移行の部分など、実に説得力豊かな流れて物語が進んでいく。もちろん、スーパーマンな二郎三郎が好き勝手にやっているわけではなく、さまざまな障害とさまざまな努力の結果、必然とも思える流れを描いているのが、今なお素晴らしいことこの上ないのだ。

戦国時代が好きなら読むべき小説

本書は文庫本だと、1冊あたり600ページほどの分量で上中下巻のボリュームだ。なかなかの長編だと思う。だがそれがいい。複雑な人間関係の変化や、障害を打ち破って理想に邁進しようとする姿を描いたら、このくらいの分量になるのではないだろうか。

初めて読んでから30年以上、僕はこの小説と付き合っている。コンテンツは消費するものではあるが、この物語についてはもはや自分の一部かもしれない。そんな人が令和の時代に1人でも出てきてくれたらうれしいことこの上ない。

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