書評 運営論

すっきりした読後感を得られたブログ論【ブログを10年続けて僕が考えたこと:倉下忠憲 著】

2016/03/09

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@odaiji さん曰く、。

ブログ論というのがありましてね。ブログはこうあるべきだとか、ブログってこうやって書いたらいいよ、管理したらいいよ、エトセトラエトセトラ・・・。定期的に盛り上がる主義主張もありますし、著作権や肖像権をしっかり守ろうという真っ当でお行儀のよいお話もあったりします。

ブログに関係する数少ない一般的数字の指標である「PV(ページビュー)」を伸ばす方法を議論したり、そのために「はてなブックマーク」というブックマーク共有サービスの使い方を論じたり。まあいろいろあるわけですよ。

最近はどうやらブロガーとお金の話が多いみたいでして。「ブロガーと」と書いているのが少々みそで、ブロガーさんがブログ以外の媒体で「ここならコンテンツが売れる」「有料の文章は面白い」「貧乏人はうんたらかんたら」といった話題が飛び交っています。

良いんですよ。手間暇かけて文章書いているんだから、見返りがあってもいいんです。売り方も人それぞれだし、買い手がいるから売っているわけだし。いいじゃないですか。

でも、なんか、自分の観測範囲では「自分のコンテンツがいくらで売れた!」「金金金金みっともない!」みたいなお話ばっかりが目にはいって、ちょこっと脂っこくなっちゃいましてね。これも僕のフォローしているSNS関連に限ってかもしれませんが、このところは「お金がんがん稼ぐ!」というコメントと、その否定のコメントばっかりで、一部の領域のブログ論ばかり大きな声で論じられていることが、脂っこい物を食べ過ぎたときの気持ち悪さみたいになってしまいました。

自分の中じゃ結論が出ているんですよ。

ブログなんて好きに書けば良いし、有料でも無料でも面白い面白くないのは読み手次第だし、みんなが法律や権利を侵さない範囲で公序良俗に基づいたなかで好きにやればいい

って。

で、そんな時に読んだのが倉下忠憲さん( @rashita2 )の電子書籍「ブログを10年続けて僕が考えたこと」だったんです。

ブログは金だけじゃない

ま、以下、個人ブログ前提で。ブログっぽいメディアまで広げるとややこし。

これは肯定する意味でも、否定する意味でも、です。
小説のようなものもブログに取り入れられたり、アフィリエイトの要素もブログには取り入れられたり、写真だってイラストだって、動画だって取り入れられるのがブログ。小説やアフィリエイト、写真などがボクシングや柔道、レスリングのような競技だとしたらブログは総合格闘技やプロレスみたいなもんじゃないのかなーって個人的には想っているんですけれど、だからこそブログを楽しむための視点ってのはいろいろあるんじゃないかとおもうわけで。

だから、お金のことが語られるのは大いに結構ですし大切なことだけれど、それだけじゃない。もっと多彩な「ブログ論」を常に目にしていたいと考えている僕には、今話題が偏ってしまっているところが少々粘度が高い感じでいやなんです。

あー、さっぱりしたブログ論、だれか書かないかナー

と思っていたら、倉下さんが書いているものがありました。去年の5月に出た電子書籍なのでもう一年近くも前の物なんですけれど。

求めていた、さっぱりした言葉

もしかしたら脂っこさに辟易していたぼくはウーロン茶やジャスミン茶のようなものを求めていたのかもしれませんが、そんなさわやかな内容が語られていたんですね。ありがたし。
以下小見出しに当たる部分は当該書籍からの引用とさせていただきたきますよ。

アクセスをいくら集めたか、あるいは金銭をいくら稼いでいるかだけで、ブログの価値は計れるものではありません

もし、ブログを始めたばかりの人についた師匠が「ブログ=金」ってなってしまうと、金が稼げないブログ=意味のないブログ、って考えを植え付けられてしまいそう。
それは大切な要素の一つだけれどそれがすべてではないとおもうのですよね。

自分の考えを表現して人に問いかける場だったり。

自分が躓いたこと、解決したことを記録しておく場だったり。

読書感想文だったり。

アイドルのおっかけ情報だったり。

アイドル自身の日常だったり。

それのどれでもブログとして成立するし、そこにマネタイズの要素がなくったってブログはブログ。運営者がそれでよければ、それでいいじゃん、と思うんですよ。

むしろ、ブログの「意味」みたいなものは、続けることでしか生まれてきません

倉下さんが何度も繰り返してた(と記憶している)のが「続ける」ということ。これはベテランのブロガーさんみんなが言ってるし、当然、続けているからこそベテランブロガーになれる訳なんですけれどね。

自分が書きたいことを書いただけでは薄くなってしまうものでも、書き続けていくことによって厚みが出たり、考えの変遷がわかったり、そうやって物事を立体的に判断したり楽しんだりすることが出来る。毎日だろうが週に一回だろうが月に一回だろうがかまわないけれど、ブログのようなものは続けていくことに価値があるんですよね。

お金を稼ぐことだけが目的のブログになると、新規企業の60%が一年以内に倒産するがごとく、もうからない!って理由でぽんぽんやめていく人が出てきそうで。

個人的にはブログに複数の喜びを見いだせれば、それだけ続く理由が出来ていくと思うんですよね。

僕の場合は、ブログを続けていることと「ブロガーズフェスティバル」というイベントの中核にいられることがスパイラル的に楽しさを持ち上げていますし、

ブログきっかけで得られた仕事や面白いことが沢山あったりしますし。

僕なんてまだ3年くらいの選手ですけれど、それだって楽しいことは複数あったりするわけです。だからこそ続いているんじゃないかなと思ってます。

この人はふだんどういうことを考えているんだろうか」「これについてはどんな風に思っているのだろう

倉下さんが人のブログを読むときの楽しみだそうで。きっとブログを通して「人間」を楽しんでいるんだろうなぁ。

あんまキラキラばっかしていなくてもいいから人間味が残ること

教科書的でなく小説的に自分が描かれていること

こんなブログがあったら読みたくなっちゃうのは仕方無いんじゃないかと思ったりします。

僕はしばしばガイド的な文章を書いちゃうことがあるんだけれど、それでも行間とか文の終わりに、ちょろっとだけ自分の人間味を混ぜ込んでみたりして。そんなふりかけをかけながら文章を書いているつもり。伝わってなかったらごめんなさいですけれどね。

ただのノウハウの焼き直しや劣化コピーを見ているのはとってもつまらない。

だけどそこに「筆者の顔」が透けて見えることで文章に血が流れていくんですよねー。お金儲けのノウハウでも血が流れている文章は面白いと思うんです。AIが書いたの?って思えちゃうようなのはどんな文章でも後に残らないものだったりして。

ブログ史?の勉強にも

10年選手の倉下さんが当時のお話から書いてくださっているので、ちょっとした「ブログ史」のお勉強にもぴったり。

美術に美術史があったり、数学にも数学史があるんだから、ブログにもブログ史があっていいと思うんですよ。ブロガーの先達には、ぜひぜひその人の目線での「ブログ史」を発表していただけるのがとても嬉しいなと思うわけです。たぶん全体を見渡すのってとても難しいので、個々の「ブログ史」をわーっとあつめて、

ああこのときはこういう時代だったんだ!

というのを知りたい。

本書はこの10年のブログ界隈を倉下忠憲という人物のフィルターを通した「ブログ史」が学べます。その時々のブームだったりブログエンジンの話だったり、面白いもんですね。

読後、さわやかに

定義付けをしっかりした後に、奇をてらわず、割と淡々と書き続ける本書は、ダシの効いたお吸い物だったり、いろいろな柔らかい味が混ざっている茶碗蒸しだったり、そういった物を食べた食後感に近い読後感を得られました。倉下さんもお金に関する話題を本書内で否定していなかったりで

ブログは自由だよ。続けてさえいればいいよ

というメッセージも届いている気がしますし、そこを、大いに楽しむことができたような気がします。

多様性のあるブログという存在を、その多様性のまま語ってくれているのがありがたいさわやかな一冊でした。

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